第7回 「『反射効』と『判決効の拡張』」
第1 導入
ときどき、「反射効の肯否」といったざっくりとした論点設定がなされている設問がありますが、皆さんは「反射効」がどういった効力なのか、そもそも「反射効」を肯定してよいのか、「反射効」が実体法上の効力といわれる意味はなんなのか、といった質問に対する回答を用意しているでしょうか。
今回は、「反射効」概念をすっきり理解できるよう手助けをしていきたいと思います。
第2 「反射効」とは
1 定義
まず、前提知識の確認ですが、「反射効」とはどのような効力でしょうか。
反射効の定義は、物の本によると「(第三者は判決の既判力を受けるわけではないが)当事者間に既判力の拘束のあることが、当事者と実体法上特殊な関係、すなわち、従属関係ないし依存関係にある第三者に反射的に有利または不利な影響を及ぼすこと」とされています(個人的には秀逸な定義だと思っています)。
さて、「反射効とは何か」と問われれば、この定義のまんまなのですが、この定義の内容を理解するのがなかなか難しいのです。
以下では、こんな感じでイメージすればわかりやすいんじゃないか、っていうベクトルを示したいと思います。
2 反射効肯定説の理由
まず、反射効を肯定することが適当であるとされる場面(反射効概念を肯定しないと解決の具体的妥当性が図れない場面)を確認しましょう。
よく出てくる典型的な場面としては、
債権者が主債務者に敗訴し、その判決が確定した後に、保証人に対して保証債務履行請求訴訟を提起した。
という場面があります。
いわずもがな、債権者は主債務者に敗訴し、その判決が確定したのですから、債権者と主債務者の間では、判決基準時に主債務が存在しないということが確定します。これは純粋な既判力の問題です。
もっとも、かかる敗訴判決は、債権者と主債務者との間のものであり、その既判力は保証人には及ばないのですから、債権者は保証人に対しては、「(前訴基準時において)主債務が存在しない」という主張と矛盾する「(前訴基準時において)主債務が存在する」という主張をしても、既判力には抵触しません。
既判力はあくまで判決の当事者間でしか生じないという115条1項1号の条文まんまです。
……でも、仮にあなたが保証人だったらどう思うでしょうか。
僕だったら「こいつ…往生際が悪すぎるやろ」って怒り狂うと思います。
皆さんは法律の勉強をしておりますから、保証人との関係では既判力が及ばない以上、こういった矛盾主張が許されると言われても、「いや、既判力ってそういうもんじゃん?」と納得するかもしれません。
しかし、本件保証人を含め、世の中の多くの人が、この結論の「キモさ」を感じるであろうことも自覚していると思います。
要は、反射効肯定論者たちの主張の動機も、この「キモさ」にあります。
「いや、既判力は当事者間でしか生じないってのはわかるよ?私も法律勉強してるからね!でも、なんかこの結論キモくない?いや、理屈では納得してるんだけどね。…でもやっぱりキモい!」
という純粋な感想が、反射効を肯定する理由です。
3 なぜ、この結論に「キモさ」を感じるのか
さて、多くの人がかかる結論に対して「キモさ」を感じるのはなぜなのでしょうか。
債権者が、主債務者との関係ではもう「主債務の存在」を主張できないのに、保証人との関係では「主債務の存在」を主張できる、という矛盾状態が気持ち悪いわけですが、もっと分解して考えて見ましょう。
片方では「主債務の存在」を主張できないのに、もう片方では「主債務の存在」を主張できる、ということに対する違和感は、つまりは、
「主債務が存在する状態」と「主債務が存在しない状態」は実体法的に両立しないはずだ!
という前提から来ているはずです。
実は、「反射効」という概念を理解するには、「実体法上の矛盾関係」に思いを馳せることがかかせません。
ところで、第6回のブログで「既判力本質論」の話をさせていただきました。
復習ですが、「既判力本質論」とは、「判決の内容が仮に真実の状態に合致していなかったとしても、その判決が確定して既判力が生じれば、当事者及び裁判所はその判断に拘束される。この拘束力の正当性をどう説明するか」という議論です。
そして、既判力本質論には二つの学説があります。
一つは、かつての通説であった実体法説。これは、既判力は実体関係に作用していくと捉えるものです。つまり、仮に判決の内容が真実に合致していないものであっても、判決が確定した瞬間に、判決内容どおりの和解契約が締結された場合と同視しようとするものです。
もう一つは、現在の通説である訴訟法説。これは、既判力を実体関係とは無縁の「国家裁判権の判断の統一という訴訟法上の効果を持つもの」として把握します。
つまり、判決が確定すると、「裁判所の判断の統一」という要請から後訴裁判所は既判力の生じた判断と矛盾する判断をすることはできなくなります。そして、裁判所に対する拘束力が生じたこととアプリオリに、当事者についても矛盾主張ができなくなる、と考えます。この「後訴裁判所に既判力の生じた判断と矛盾する判断をすることはできなくする力」が既判力の本質であると説明するのです。
この説明の詳細は第6回をみてください。
さて、なぜ唐突に「既判力本質論」を振り返ってみたかというと、既判力本質論を理解することが、反射効の出生を知る上で不可欠といえるからです。
前述したように、既判力本質論について、かつては実体法説が通説でした。
つまり、判決が確定すると、その判決内容通りに、実体法上の和解契約が締結されたものと同様に扱われるのです。
ここで、前述した、反射効が肯定される典型的な場面について、実体法説で既判力を考えてみてください。
まず、債権者が主債務者に敗訴しました。
その結果、「主債務が存在しない」という点に既判力が生じます。
さぁ、ここで実体法説です。
つまり、既判力の拘束力の正当化根拠としては、「この判決が確定した瞬間に、主債務は存在しない」という内容の和解契約が債権者と主債務者の間で締結されたのと同様の効果が生じると説明されます。
そうなった場合、実体法上、主債務は当然に消滅していると考えるのが自然ですね?
この後に、債権者が保証人に対して保障債務の履行を求めることは許されますか?
許されないと考えるのが自然です。実体法上、主債務が消滅しているのであるから、付従性により保証債務も消滅すると考えられるからです。
これが「実体法説を前提とした既判力」の威力です。
つまり、実体法説の下では、確定判決がでると、その判決の効力が当事者と特別な関係にある当事者に(事実上)及ぶことが前提とされていたのです。
ということは、既判力本質論について、実体法説が通説であった時代には、そもそも「債権者が主債務者に敗訴し、その判決が確定したために、主債務者に対しては主債務の存在を前提とした主張はもうできないが、一方で、保証人に対しては主債務の存在を前提とした主張が可能である」という矛盾はあまり問題にならなかったのです。「既判力」ないしは「既判力の拡張」としてスムーズに解決可能であったのですから。
しかし、既判力本質論について訴訟法説が通説となった現在、仮に「債権者が主債務者に敗訴し、その判決が確定」したとしても、それによってその内容通りの和解契約締結されたのと同様の実体法上の効果が生じるわけではないですから、保証人に対しては「主債務が存在する!」という前提での主張が可能となってしまうのです。
「実体法説の時代はよかったよなぁ…こんな矛盾状態に悩むことなかったんだから……」
はい、この悩みから生まれたのが「反射効」なのです。
「反射効は実体法上の効力である」といわれることがあります。
これは、反射効が既判力本質論の争い(実体法説か訴訟法説か)の中から出てきたものであり、実体法説が通説とされていた時代には既判力の拡張として説明できたものが、訴訟法説ではうまく説明できないことに由来します。
何度も言いますが、実体法説では確定判決により実体法上の権利法律関係が変動することが認められるますから、「判決」を「実体法上の契約」と同一視し、この契約に服する第三者に対しても当然に判決効が拡張されるものと説明することができたのです。
しかし、訴訟法説が通説となると、判決は裁判所の訴訟行為であり、実体法上の権利法律関係を変動させるものとは捉えられなくなりました。すなわち、既判力は、訴訟法の中でのみ拘束力を有すると考えられるようになったため、以上の効力(保証人に対しても「主債務が存在する」という主張が許されなくなる効力)を既判力として説明することができなくなったのです。
そこで、編み出された概念が「反射効」です。
「反射効」とはつまり、「実体法説時代の『既判力の拡張』」と同一の効力を訴訟法説の下でも認めようとした新概念ということになります。
「キモい」結論はなんとか回避したい。でも訴訟法説の下では既判力によってはこの結論を回避できない。どうしよう。しかたない、「反射効」っていう新しい概念作ったろ。というノリです。
第3 「反射効」を肯定するべきか
1 「反射効」の肯否
では、受験生としては、「反射効の肯否」といった問題設定の設問が出題された場合、どうアプローチしていくべきでしょうか。
結論から言いますと、やはり、反射効肯定論者たちが懸念している「矛盾主張」に対しては何らかの解決の方策を呈示するべきだと思います(その方が書きやすいと思います)。
学者や裁判官の間でも、それを「反射効」というかは別として、「矛盾主張」を許さないために、何らかの形で判決の拘束力を拡張すべき、というのが圧倒的な多数説であると感じます。
ですから、結論としては以下のいずれかの選択肢を選ぶべきでしょう
① 反射効を肯定する。
② 反射効を否定するが、一定の要件の下で既判力の拡張を認める。
個人的には、②がいいかなぁ、と思っています(論文で出た場合には②で書こうと思っていました)。
理由としては、主に以下の2つがあります。
第1に、最判昭51.10.21が反射効を否定していると評価されるからです。
なお、同判例は反射効を否定したわけではない!という主張もあり、僕的にもこの判例は反射効を否定するものとまでは言い切れない、という感想を持っています。でもやっぱりこの判例は反射効を否定したものだ!と説明されることが多いですから、マジョリティに従っておきましょう。
第2に、前述のように、反射効は実体法上の効力にすぎないのですから、実体法説にいう既判力の拡張の言い換えに過ぎません。しかし、現在は訴訟法説が通説で、既判力はあくまで「訴訟法上の」効力です。とすれば、現在、反射効概念を認めてしまうと、既判力については訴訟法上の効果にとどまるのに対して、反射効については実体法上の効果を認めてしまう、という矛盾した態度がとられることになります。
このことは「反射効は、『訴訟法説を曇らせるもの』である」と批判されたりします。
以上のことから、学説の多数説も矛盾主張を禁止する効力を「既判力の拡張」と位置付けて統一的に把握する方向に議論が進んでおります。
2 論証の手順
さて、結論的には、「『反射効』概念は否定し、同様の効果を『既判力の拡張』として説明しましょう」ということになりますが、その論証はどのようなものになるでしょうか。
問題は「既判力の拡張」がどのような場合に認められるか、という点に集約されると思いますが、この点については、高橋先生がおっしゃっている基準が一番わかりやすくて使いやすいでしょう。
すなわち、①判決効拡張の合理的必要があり、②それを手続保障の観点から正当化できる場合(ex.手続保障するだけの実質的利益の欠缼、代替的手続保障の存在)には、既判力の拡張をみとめてよい、という基準です。
このように、反射効におけるこの議論は、実体法的判断ないし実体法的公平感が先行し、そこでなされた矛盾判断防止という結論を、訴訟法的に手続保障の代行などで事後的に補強説明するということになります。
具体的な論証の例を示します。
この点、確定判決により当事者間で判決通りの処分行為があったものと同視し、当事者の法律関係と従属関係ないし依存関係にある第三者の訴訟にも、当事者間の判決の効力が及ぶとする見解がある(反射効を肯定する見解)。
ところで、法が認める既判力は、裁判所に対する効力であって、判決が確定したとしても、その判決内容通りに実体法関係を変動させる効果を生じさせるものではない(訴訟法説)。
とすれば、法は、確定判決に実体法関係を変動させる効果を認めていると解釈すべきではなく、上記見解は妥当でない。
よって、反射効は否定するべきである。
では、既判力を拡張することで、XY間の訴訟の確定判決の内容を、XZ間の訴訟に反映することはできないか。
ここで、既判力の趣旨は、紛争解決の実効性を確保する点にあり、また、既判力の正当化根拠は、当事者に手続保障が充足されている点に求めることができる。
とすれば、明文の規定なくても、紛争解決の実効性確保という観点から判決効を拡張させる必要があり、また、判決効を不利に拡張される当事者に手続保障が十分に保障されていたと言えるならば、既判力の拡張が許されるものと考えるべきである。
第4 まとめ
反射効概念については、フワッとした理解にとどまってしまってい人も多いかと思います。
しかし、反射効とはなんなのか、という点を既判力本質論の歴史に立ち返って考えるというテクニックを知っていれば、深い部分まで案外すんなり理解できるものです。
追伸
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