第2回 「『当事者の確定』の正体」
第1 導入
第2回は「当事者の確定」について見ていきたいと思います。
ご存知の通り、「当事者の確定」の論点は、民事訴訟法の教科書の初っ端の方にでてくるものですが、「当事者の確定」とは何なんだ、どんな作業なんだということを意識したことはあるでしょうか。
受験生なら誰しもが「訴訟において、誰を当事者として扱うのかを確定すること」と即答するでしょう。
それが正解です。
しかし、「誰を当事者として扱うのかを確定する」とはどのような意味でしょうか。
今回はこのことを考えてみます。
第2 「当事者が誰なのか」が問題となる場面
ところで「当事者が誰なのか」が問題となる場面としては、以下の場面があると言われています。
① 訴状の送達(138条)
② 人的裁判籍(4条)
③ 当事者能力・訴訟能力(28条以下)、当事者適格
④ 二重起訴の禁止(142条)
⑤ 判決効の及ぶ者(115条)
⑥ 期日の呼出し(94条)
ここで、①訴状の送達について考えてみましょう。
「『訴状の送達』の場面で『当事者が誰なのか』が問題となる」とはつまり、「当事者(被告)に訴状を送達する必要があるから、当事者が誰かを決める必要がある」ということですよね。
ところで、みなさんは「当事者の確定」の基準についてどんな説を採っていますか。多くの人は(実質的)表示説だと思います。
だから、この場面でも「当事者の確定」の問題として、表示説をとって解決しようとする人が大半だと思います。
しかし、この考え方は厳密には間違っています。
表示説の反対説として、行動説がありますよね。
では、「訴状の送達」の場面で行動説をとってみてください。
何か不自然に感じませんか?
行動説とは、(訴状の表示にとらわれず)訴訟において、実質的に当事者として振る舞った者、実質的に当事者として扱われた者を基準に当事者を確定する説であり、あくまでも「訴訟における当事者の行動」に着目した判断がなされます。
では、「訴状の送達」の場面で「(訴状の表示にとらわれず)訴訟において、実質的に当事者として振る舞った者、実質的に当事者として扱われた者」を基準に当事者を確定してみてください。
無理です。
なぜなら、訴状の送達以前には「訴訟における当事者の行動」ということが観念できないからです。
これは、「訴状の送達」の場面では行動説を取り得ない、という話ではなく、「訴状の送達」の場面には「当事者の確定」の論点はあてはまらない、ということなのです。
第3 「当事者の特定」と「当事者の確定」
この話を整理するために、「当事者の特定」と「当事者の確定」という概念の違いについて説明します。
ちょっと話はそれますが、「訴訟物の特定」はどのように行われるかわかりますよね。処分権主義の下、当事者(原告)が訴状において訴訟物を特定します。
では、このような場面を考えてみてください。
XはYに対して1000万円の金銭債権を持っています。XはYに対して訴えを提起し、当該債権のうち300万円を一部請求しました。Xは全部認容判決を受けたため、残部700万円についても後訴を提起しましたが、Yからは既判力に抵触する旨の反論がなされました。
ここで、Xの請求が通るか否かは、前訴で一部請求である旨の明示が存在するか、言い換えると「前訴の訴訟物は何か」で決まりますよね。
では、この場面で「前訴の訴訟物は何か」を決めるのは誰でしょうか。
当然に裁判官であると誰しもがわかると思います。
しかし、こう言われると「あれ?訴訟物の特定は処分権主義の下、当事者の権限なはずなのに、なんでこの場面では裁判所が訴訟物を決めるんだ?」と思う人もいると思います。
実はこの場面、処分権主義の下での「訴訟物の特定」とは別の、「訴訟物の確定」の問題なのです。
「特定」と「確定」という概念が出てきましたが、この違いは簡単に言うと、「『特定』は当事者がすることで、『確定』は裁判所がすること」という感じになります。
どういうことかというと、
① まず、処分権主義の下、当事者が訴状において訴訟物を「特定」します。
そして、
② 当事者が特定した訴訟物について疑義が生じたときに、裁判所が訴訟物を「確
定」するのです。
まず、当事者が訴状において当事者を「特定」します。そして、当事者が特定した当事者について、疑義が生じた場合に、裁判所が当事者を「確定」するのです。
そして、いわゆる「当事者の確定」の議論が生じるのは後者の場面(裁判所が当事者を確定する場面)ということになります。
つまり、当事者の特定した当事者に疑義が生じる余地がない場面では、「当事者の確定」の問題にはなりえず、それは専ら「当事者の特定」の問題として、当事者の主張(訴状の表示)に黙って従っておけばいいのです。
このことは⑥期日の呼び出しの場面でもあてはまります。
第4 まとめ
まとめると以下のようになります。
当事者の確定が問題となるのは、訴状に記載された当事者を当事者として扱うことが不合理な場合である。
つまり、当事者の確定という作業は、訴状の当事者欄の記載に疑いをもってかかっていき(本当にこいつが当事者なのか)、当事者の特定した当事者と別の「真の当事者」を確定しようという作業であるといえる。
とすれば、訴状の当事者欄を信じるしかない状況、すなわち、当事者の特定した当事者を「当事者」として扱わないと手続が進まないような状況では、訴状の当事者欄の当事者を「当事者」として扱うしかない。
そして、その状況は、口頭弁論期日の呼出し(94条)と、訴状の送達(138条)の場面の二場面である。
これらの場面では、当事者確定論で仮に表示説以外の説を採ったとしても、訴状の記載により当事者を判断するしかないことになる(当事者の確定の問題ではないことになる)。
このように、「当事者の特定」が問題となる場面では、訴状の当事者欄の記載に頼るしかありません。
その意味で、「当事者の特定」が問題となる場面では、「当事者の確定」で見たような、表示説、意思説、行動説の対立は観念しえません。「訴訟物の特定」と同様、当事者(原告)の主張(「こいつが当事者だ!」という主張)に従わざるをえないのです(なお、これは「当事者の確定」の論点で言うところの表示説と同じような処理がなされることになりますが、「当事者の特定」の場面では、この処理を表示説による処理と理解する必要はないので注意してください。あくまで、「当事者の特定」と「当事者の確定」は別の議論と理解するのがよいです。)。
なお、これは付言ですが、「当事者の確定」について、様々な学説が対立しています。
表示説、意思説、行動説、規範分類説…
勉強が進めば進むほど、「規範分類説知ってる自分かっけぇ!!!」となりそうですが、あえて茨の道を進む必要はありません。
素直に表示説(実質的表示説)とってください。
追伸
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